賀茂川が高野川と交わって鴨川と名前を変える場所に河合神社があります。ここには、珠世と愈史郎に重なるイメージがあります。
(この記事は、「鬼滅の刃」1巻、2巻、4巻、7巻、8巻、23巻、ファンブック第一弾、第二弾、小説版「片羽の蝶」笑わない君へ、「東京喰種」1巻、4巻、「ぬらりひょんの孫」9巻、「犬夜叉」3巻のネタバレを含みます)
前の記事で考察したように、無限列車編に登場するカナヲ、アオイちゃん、猗窩座に重なるイメージは、神崎川を指すヒントになっていると考えることができそうです。
神崎川は淀川につながる川ですが、興味深いのは旧淀川には玉依姫命が遡上したことがきっかけで、貴船神社が創建されたという伝説が残されているところです。
「鬼滅の刃」立志編では、貴船神社の伝説に沿って、鍵となるイメージがちりばめられているみたいですよ。
那田蜘蛛山を考察する前に、この記事では珠世と愈史郎についてまとめていこうと思います。
漫画と神話に秘められた鍵
前の記事にも書きましたが、「妖怪ウォッチ」のコマさんのように、「鬼滅の刃」には他の漫画を思い起こさせる表現が多数存在します。
悪く受け取る人にとってはパクリ、良く受け取る人にとってはオマージュと評される点ですが、よく見ると一定の法則があるようです。「鬼滅の刃」を読み解くうえで、重要な鍵が含まれている漫画が取り入れられているようなのです。
例えば禰豆子がお堂の鬼の首を蹴り飛ばすシーンですが、「東京喰種(トーキョーグール)」にも似た場面が出てきます(1巻 ♯004)。また、ヒト以外から栄養を摂取できず、人間の食べ物は吐き戻してしまうという喰種の特徴(1巻 #002)は「鬼滅の刃」の鬼とよく似ていて(ファンブック第二弾 一三三頁)、赫子(かぐね)(1巻 #008)を武器に戦う様子は最終決戦の無惨に似ています(21巻 第184話)。
そして「東京喰種」の4巻には、こんなセリフが出てきます。
「作品で取り扱っている分野の予備知識があれば、より深く作品を楽しむことが出来る」。
また、黒死牟に似た六つ目の異形に変貌する人物が出てくる「ぬらりひょんの孫」(9巻 第七十五幕)では、漢文の文体の一つ「鏡花水月法」という表現方法が出てきます(9巻 第七十一幕)。
「あからさまに説明をしないで、ただその姿を読者の心に思い浮かばせるように表現するもの…。“ない”ことで逆に存在感が増す…。」
そして、「鬼滅の刃」の大正コソコソ噂話(1巻 第3話末)でタイトル候補に入っていた、火の神様「カグツチ」が登場する「古事記」(712年)の序文にも、似たような話が出てきます。
「古事記」の成立は元明天皇(第43代)の御代ですが、その作成が決定されたのは天武天皇(第40代)の御代のことです。難航した原因の一つは、言葉の問題でした。
古い時代の言葉とその意味は、飾らず、ありのままであるため、漢文に移すことが困難だったといいます。
その解決策として、次のような説明がされています。
今或一句之中交用音訓或一事之内全以訓録
今、或(あ)るは一つの句(ことば)の中(うち)に、音(こゑ)と訓(よみ)とを交(まじ)へ用(もち)ゐ、或(あ)るは一つの事の内(うち)に、全(また)く訓(よみ)を以ち録(しる)しつ。今、あるものは、一つの言葉の内部に、漢字の音と日本語の読みとを混ぜ入れて使用し、あるものは一つの意味の内部に、整えた日本語の読みを使って記録した。
「鬼滅の刃」にある、「その姿を読者の心に思い浮かばせるように表現したもの」には、漫画、歴史、文学、神話、民俗学など様々な情報が盛り込まれていて、それを読み解くことで、より深く味わえる何かが見えてくると考えることができそうです。
これは、珠世と愈史郎についても言えそうですよ。
珠世
鬼舞辻無惨と遭遇した直後、炭治郎は珠世と愈史郎に出会います(2巻 第14話)。
珠世にイメージが重なるのは、美麗の神として信仰されている河合神社(京都府京都市左京区下鴨泉川町)です。
河合神社の創建は紀元前まで遡ると言われる古い社で、御祭神は神武天皇(第1代)の母・玉依姫です。貴船神社の創建神話で、川を遡上したと伝えられる玉依姫と同じ神様です。
賀茂川と高野川の2つの川が出会う三角州に社があり、周囲に広がる糺の森は、京都に都が移される前から存在していた原生林と同じ姿を見ることができるといいます。古い記憶を残す場所なんですね。
角川 漢和中辞典によると、「糺」は「糾」の文字と同じで、以下の意味があると説明されています。
1. あざなう(・ふ)。よる。よりあわせる。
2. ただす。しらべる。「糾明」。
3. よりなわ。三つよりのなわ。
4. あつめる。あわせる。
5. まとう。
6. まつわる。からみつく。「紛糾」
淺草は“始まりの呼吸”の剣士と関わりのある炭治郎、無惨、珠世たちが初めて出会う場面でした(2巻 第14話)。
「糺」の文字に「三つよりのなわ」の意味を持つ「糺の森」と、三人が出会う浅草の場面は、イメージが重なってきそうです。
愈史郎
珠世のそばには、いつも愈史郎が付き従っています。そんな愈史郎に重なるイメージはどこでしょう? 神社ではなく人物ですが、鴨長明が該当しそうです。
というのも、河合神社の境内には、2022年8月に糺の森に移転するまで、長明が晩年を過ごした方丈庵の復元が設置されていたのです。
久寿2年(1155年)、長明は下鴨神社の正禰宜惣官(しょうねぎそうかん:下鴨神社の最高神官)を務める鴨長継の次男として生まれました。そして高松宮妹子内親王の庇護により、7歳にして従五位下を賜るほどの出世を果たします。
しかし十代半ばで後ろ盾となる父が亡くなり、高松院も崩御。最終的には一族内の権力争いに敗れ、神職の道を絶たれてしまいます。
「鴨長明集」(成立年未詳)には、父を失って自分の死を望むほどに思い詰めてしまう長明に、下鴨神社の祝(はふり:祭祀などで神事の実務にあたる神職)の鴨輔光が送ったこんな一首が掲載されています。
住みわびて いそぎな越えそ 死出の山 この世に親のあともこそ踏め
住みづらさを感じるからといって、冥途にあるという険しい山を急いで越えていこうとしないでください。この世にある親の跡をこそお行きなさい。
愈史郎は珠世の処置により生み出された鬼で、珠世が愈史郎の親といえます(2巻 第15話)。
そして最終決戦後、炭治郎からは、「愈史郎さん、死なないでくださいね」と声を掛けられていました(23巻 第204話)。鴨長明と愈史郎は、いくつか重なる場面があるようです。
神職の道を諦めた長明は、今度は和歌の才覚を発揮して、和歌所寄人(わかどころよりうど:和歌所の職員)に抜擢されます。熱心に職務に励む様子を後鳥羽上皇に認められ、河合社の禰宜に欠員が出た際には、上皇から推挙の内意を得ます。
河合神社は長明の父・長継も禰宜を務めていたことがあり、「源家長日記」(鎌倉時代初期)には、「ないないも漏れ聞きて、喜びの涙せきとめがたき気色(けしき)なり」と書かれるほど長明も喜んでいたようです。しかし、下鴨神社の正禰宜惣官を務める鴨祐兼の反対で、この話は立ち消えになってしまうのでした。
鴨祐兼というのは、長明の父・長継の後任を務めた、鴨祐季の子供です。延暦寺との所領争いの責任をとって祐季が辞任した際、その後任の座を長明と争った人物でした。
河合神社の一件の後、長明は出家してしまうのですが、こうした一族との確執が大きな影を落としていると言われています。
「方丈記」(1212年)は、こうした騒動の後、長明が終の棲家とした方丈庵(京都市伏見区日野船尾)で生まれた随筆です。ファンブック第一弾(七九頁)によると、愈史郎の趣味は「珠世日記」をつけることと紹介されていました。
現在、日記と随筆は別々の分野に分けられていますが、以前は一つの分野として見られていたことがあります。そう考えると、長明の「方丈記」は、重要な鍵になってきそうです。
大火が示す怨霊伝説
「方丈記」が成立したのは建暦2年(1212年)のこと。その前半部分には、長明が経験した五大災厄の詳細が記されています。その一つが左京区の大半を焼失させた安元の大火(1177年)です。
この大火は、平家一門により退位させられて流刑地で憤死した崇徳上皇(第75代)の祟りだと噂されていました。というのも、この前年に崇徳上皇と敵対していた後白河院(第77代)の周辺で不幸が重なっていたからです。
二条天皇は後白河院の息子。
7月…後白河院の女御・平滋子が7月に崩御
平滋子は平清盛の妻・時子の妹。
8月…六条天皇(第79代)が崩御
六条天皇は後白河院の孫。
9月…近衛天皇(第76代)の中宮・藤原呈子が崩御
近衛天皇は後白河の異母弟で、崇徳上皇から皇位を継承。
天狗となった崇徳上皇
「保元物語」(承久年間)によると、讃岐に配流された崇徳上皇は、戦によって多くの血を流した罪を悔い、後生菩提のために自身の血を用いて、三年の月日をかけて書きあげた五部の大乗経を都に送ったといいます。
しかし拒まれて送り返されたため、怒りのあまり髪も剃らず、爪も切らず、生きながら天狗のような姿となり、「我、願わくは、五部大乗経の大善根を三悪道に抛(なげう)って、その力をもって日本国の大魔縁となり、皇を取って民となし、民を皇となさん」と、書写した経の奥に自らの舌を噛み切った血でその誓いを書き付け、海に沈めたといいます。
「魔縁」というのは、仏道修行を邪魔する存在を表す仏教の言葉ですが、慢心した山伏などが天狗道に堕ちることも表します。
延慶本「平家物語」(1309~1310年)によると、魔縁は天魔の一種で、天魔には全部で3種類あると説明されています。
抱えた業が終わり、人身を受けるために山や谷で入定(長く深い瞑想に入ったように入寂すること)している状態 … 破旬(はじゅん)
驕慢で無道心な人の心が縁となって、その人の所に天魔が来ること … 魔縁
驕慢というのは「人より優れていたいと思う心」のことで、無道心というのは「仏の智恵が足りず闇に迷う者に対して、『智恵の火をさずけてやりたい』と思うことなく、さらには念仏を申す者を妨げて、あたりかまわず声をあげたりする者」のことだといいます。
崇徳上皇の宣言は、驕慢で無道心になっている人(保元の乱で勝者となった人々)の所に現れて、惑わせる存在となって天下を乱すということになるようです。
また、天狗について書かれている「沙石集」(鎌倉時代中期)によると、生きているときに良い心を持っていた者は、天狗道に堕ちても善天狗となり仏法を守る存在になるけれど、そうではない悪天狗は、仏法を妨げるべく他者の善根(よい報いを招くもとになる行為)を妨げるといいます。
悪天狗と猗窩座
悪天狗の話は、能狂言「車僧」(くるまぞう)(室町時代)にも描かれています。
いつも無牛の破れ車で往来していることから「車僧」と呼ばれる高僧の前に、愛宕山の太郎坊天狗が現れて、慢心を誘い天狗道に引き込むために禅問答を仕掛けるのですが、車僧は動じることなく応じるのです。
太郎坊天狗が去った後、今度は配下の溝越天狗が現れて、車僧の法力を失わせるためになんとか笑わせようとするのですが、これも失敗に終わるのでした。
「鬼滅の刃」では、小説版「片羽の蝶」に、柱たちが義勇を笑わせようと奮闘する話が収録されていました。そして、「鬼滅の刃」本編にも、「お前も鬼にならないか?」と、出会ったばかりの煉獄さんを鬼に引き込もうとしている者が登場します。猗窩座です(8巻 第63話)。「鬼滅の刃」には、車僧で描かれる悪天狗の姿が重ねられていそうです。
そう考えると、猗窩座には「崇徳上皇=天狗」へつながる鍵が用意されているようです。
別記事にまとめたとおり、猗窩座には尼崎に伝わる親孝行の鬼・茨木童子のイメージがありました。実は尼崎には、崇徳上皇に関わる伝説もあるのです。
讃岐に配流される途中、大風雨を避けて浜田の地(尼崎市浜田町)に休憩されたという話があり、その縁で上皇の御霊をお祀りしているのが松原神社(尼崎市浜田町)なのです。
神社の南側には現在も「崇徳院」という地名が残っていて、上皇の崩御後、その霊を村で祀った故事に因むものだといいます。
猗窩座には、尼崎に関わる茨木童子と崇徳上皇の2つのイメージがヒントとして重ねられているようです。
崇徳上皇の「天狗」が示すもの
「保元物語」のような軍記物に登場する崇徳上皇には、「天狗」というキーワードがあります。「太平記」(室町時代)や「源平盛衰記」(鎌倉中期)では、天狗の頭領となった崇徳院が天下の騒乱を企てる様子が描かれています。
「鬼滅の刃」にも「天狗」のキーワードが隠れています。
鼓の鬼と戦う際、矢琶羽から受けた傷の痛みに耐える炭治郎が、「俺は長男だから我慢できたけど、次男だったら我慢できなかった」と言う場面です(3巻 第24話)。
長男と次男が示すキーワード
「方丈記」にも書かれている安元の大火には、愛宕山にすむ大天狗・太郎坊天狗から付けられた、「太郎焼亡」という名前があります。
この翌年には、再び京都の町に大きな被害を与える治承の大火(1178年)が発生するのですが、この火災は太郎焼亡と関連付けて、比良山にすむ大天狗・次郎坊天狗の名前から「次郎焼亡」と呼ばれています。
「太郎」、「次郎」というと兄弟で生まれた順番を表す名前ですが、天狗の場合は少し違います。
「天狗経」(1296年)によると、太郎坊天狗は天狗の惣領格(長男格)なのに対し、次郎坊天狗は2番目の格となっています。太郎は「太」の文字の意味にあるように「はじめ」を表し、次郎は「次」の文字の意味にあるように、「二番目」とか「第二位」を表すのです。
次郎坊天狗には、ちょっと興味深い言い伝えがあります。
次男だったら我慢できない理由
次郎坊天狗は、もとは京都の比叡山にすんでいた大天狗で、太郎坊天狗と並び称される存在でした。
太郎坊天狗は、修行で愛宕山に入山していた役行者と雲遍上人(泰澄)の前に、天竺・唐土の天狗と共に9億4万余りの大集団を率いて現れたことで、愛宕神社の始まりとなる神廟を建立(701年~704年)するきっかけになったと伝えられています。
太郎の「太」の文字にあるように、「おおきい」とか、「はなはだしい」という意味にぴったりの伝説ですね。
ところが、次郎坊天狗は配下の天狗を引き連れて、小天狗がするような小さないたずらを仕掛けるのが大好きだったといいます。
こうした性格の違いからか、天台宗の開祖・最澄が比叡山に延暦寺を建立(788年)し、法力の強い僧侶たちが集まるようになると、これを嫌った次郎坊天狗たちは争うことなく比良山に引っ越してしまったといいます。
炭治郎が言うように、言い伝えの次男格には、少し堪え性のないところがあったようです。
「天狗」が示す物語の鍵
天狗は元々、中国においては凶事を知らせる天体現象でした。「日本書紀」(720年)の舒明記には、天狗に関するこんな記事が掲載されています。
九年 二月(きさらぎ)丙辰(ひのえたつ)を朔(つきたち)として戊寅(つちのえのとら)に、大きな星が東より西に流れた。その時、音があり、雷に似ていた。当時の人々は、「流星の音だ」「雷の本性だ」と言っていたが、これに旻(みん)法師は、「流星ではない。これは天狗である。その吠える声が雷の音に似ているのだ」と言った。
「史記」(前91年)や「漢書」(82年)によると、天狗が落ち たところには狗(犬)のような生き物がいるため、「天狗」と呼ばれていたといいます。
つまり「天狗」というものは、雷、もしくは天から雷のような音と共に落ちてくるもので、落ちてきた場所には狗のような生き物がいると考えられていたわけです。
この要素を満たすものに、「雷獣」という妖怪がいます。
「鬼滅の刃」と似ていると言われる漫画の一つ「犬夜叉」では雷を操る妖怪で、狐妖怪・七宝の親の敵として登場(3巻 10話)しますが、伝説では「落雷と共に現れる」といわれています。
その姿は子犬だったり、狸だったり、イタチだったり、地域によって様々に伝えられていて、和歌山県日高郡みなべ町ではネズミだと伝えられているのです。
参考 南部川の民俗──和歌山県日高郡南部川村旧高城・清川村──東洋大学民俗研究会
落雷とネズミといえば、「鬼滅の刃」にも描かれています。
善逸は「出っ歯のネズミ」というイメージが繰り返し描かれていました(7巻 第54話、第54話末イラスト、第55話)。そして修業時代、鍛錬から逃亡するために、木に登っていたところを落雷にあっています(4巻 第33話)。
落雷の下にいるネズミ。善逸は雷獣のイメージそのものが重なっていそうです。だとすると、雷獣と天狗(音を放つ流星)はイメージがつながっているといえそうです。
猗窩座、善逸、炭治郎たちに重なる「天狗」のイメージは、天、特に星を指すヒントになっているといえそうです。
まだまだ続きます。次こそは那田蜘蛛山のイメージをまとめていきます。