カナヲとアオイが示す場所、水路交通の要衝・神崎川

神崎川

The names Kanao and Aoi that appear in Demon Slayer: Kimetsu no Yaiba seem to be a hint to be clues to the hidden key to the story.
鬼滅の刃に登場するカナヲとアオイの名前は、物語に隠された鍵を知るためのヒントになっているようです。

(この記事は、「鬼滅の刃」7巻、12巻、「鬼滅の刃【外伝】 煉獄杏寿郎外伝」のネタバレを含みます)
 

ミミズクを神使とする射楯兵主神社やその周辺のスポットは、「鬼滅の刃」の無限列車編にイメージが重なる場所があるようです。

この記事では、カナヲとアオイちゃんに関係する場所を見ていこうと思います。

姫路と徳川家のつながり

徳川の家紋は「三つ葉葵」、「アオイ」という名前を持つアオイちゃんには、徳川家のイメージが重なりそうです。というのも、射楯兵主神社のそばにある姫路城は、徳川家と深い関わりのある場所でもあるのです。

姫路城の初代城主は赤松貞範、その後、赤松氏の祖・赤松頼範の四男・将則を遠祖とする小寺氏が守っていました。

戦国時代になって豊臣秀吉に譲られてからは、秀吉の正室・北政所の兄である木下家定が城主となるのですが、関ヶ原の戦いの戦功により豊臣恩顧の大名だった池田氏が治めるようになります。

しかし藩主の夭折が続いた元和3年(1616年)、家督を継いだ池田光政が幼少であることを理由に、池田氏は因幡国鳥取藩に転封となってしまいます。

池田氏がいなくなった播磨国には、徳川家の重臣・本多忠政が播磨国姫路藩の初代藩主として移入。続いて忠政の次男・政朝が播磨国龍野藩に移入、さらに忠政の嫡男・忠刻が播磨国姫路新田藩の初代藩主として入封して、本多氏による分割支配となっていくのです。

こうした関係で、姫路城には忠刻と結婚した千姫が住んでいました。千姫は徳川家康の孫娘です。

姫路は瀬戸内海の要衝の地。その重要な場所を豊臣の関係者から取り上げる形になったわけですが、いきなりすべてを取り上げたわけではなく、池田光政が因幡国鳥取藩に転封となった際に、池田氏の親戚で同じく豊臣恩顧の一族である建部政長が播磨国林田藩主として移封しています。

興味深いのは、林田に移封してくる以前、建部政長は摂津国尼崎藩主だったことです。

尼崎藩は現在の兵庫県尼崎市・宝塚市・西宮市・芦屋市・神戸市南部・伊丹市の一部・川西市・川辺郡猪名川町を領していた藩で、領内にはこの後出てくる神崎川が流れており、猗窩座にイメージが重なる茨木童子の伝説が残る場所でもあるのです。

建部政長が林田藩主になるとすぐ、領内4ヶ村の水利のために西池(現・鴨池)が築造されます。

林田という土地は農業用水が不足しがちだったためですが、十分な貯留量が確保できない小さなため池だったようで、寛政4年(1792年)には鴨池(西池)を巡る水争いが発生しています。

 
参考 ため池保全活動紹介・鴨池「続・ひょうご水百景」(姫路市) | ひょうごため池保全県民運動

カナヲの名字からわかること

栗花落の井と鴨池、神崎川の位置

 

瀬戸内海周辺は雨の降る量が少ないことから、古くからため池が多く、雨乞い伝説も多数残る地域です。

そう考えると、カナヲの苗字「栗花落」(つゆり)はとても興味深い名字といえそうです。

栗の花が落ちる頃はちょうど梅雨の時期と重なることもあって、摂津八部郡山田庄原野(現 神戸市北区山田町原野)には雨乞い伝説と深い関わりのある「栗花落の井」(つゆのい)伝説が残されています。

 

矢田部の郡司・山田左衛門尉真勝(やまだ さえもんのじょう さねかつ)が奈良で宮仕えをしているとき、右大臣・藤原豊成(ふじわらのとよなり)の次女、白滝姫(しらたきひめ)に恋をしてしまいました。

真勝は恋文を送り続け、その数は千束にもなったというのですが、姫の心はなびきませんでした。

身分違いということもあり、全く見込みがなかったわけですが、御所で行われた「歌合わせ」に真勝も参加したことで流れが変わります。当日、真勝はこんなふうに歌を詠みます。

 

「水無月の 稲葉の露も こがるるに 雲井を落ちぬ 白糸の滝」
水無月の稲田では、稲の葉に宿る露の水さえ待ちこがれています。どうして雲井から白滝のような雨は落ちてこないのでしょう

 

これに対して白滝姫はこんな返歌をします。

 

「雲だにも かからぬ峰の白滝を さのみな恋そ 山田をの子よ」
雲さえかからないほど高い峰の白滝を、そのようにむやみに恋しく思わないことです、田舎者さん

 

結構辛辣ですが、諦めない真勝はさらにこんな歌を送ります。

 

「水無月の 稲葉の末も こがるるに 山田に落ちよ 白滝の水」
水無月の稲田では、稲の葉の先まで待ちこがれています。山田に落ちてきませんか、白滝の水よ

 

こうした真勝の猛プッシュに心を動かされたのはなんと淳仁天皇で、自ら仲立ちをされて右大臣を説得してくれたので、二人は身分違いを乗り越えて結婚し、真勝の故郷へ帰ることになったのでした。

真勝は幸せいっぱい。とはいえ、奈良時代の古道を行く旅は大変なものだったようで、真勝は姫の手を引き、支え、ときには背負って歩いたといいます。

疲れ果てた姫は山深くなっていく景色を見て泣き伏してしまうのですが、不思議なことに、地面に落ちた姫の涙は泉となり川となるのでした。

この川はその後も絶えることはなく、白滝姫の名をとって白水川と呼ばれています。(現 西宮市中野字東山)

さらに石井村の北の森(現 神戸市兵庫区都由乃町)という場所では、梅雨を迎えたというのに酷い干魃に困り果てた村人に出会い、姫が手に持っていた杖で地面を突くと、そこから清水が湧き出したといいます。

清水の面に栗の花がはらはらと落ちたことから、その地は栗花の森(つゆのもり)と呼ばれるようになり、現在の町名「都由乃町」の元になっています。

その後、二人は無事に山田の里に着き、子どもを一人もうけるのですが、ある年の梅雨のころ、姫は病気にかかって亡くなってしまうのでした。

屋敷の東隅に設けられた姫の廟所の前には、それ以降、栗の花の落ちる梅雨の時期になると、旱天の日でも絶えることのない清水が湧くようになり、決まって栗の花が散り落ちたといいます。

このことがやがて天皇の耳に達し、この霊泉に「栗花落の井(つゆのい)」という名を賜って、二人がもうけた子・真利は、左衛門佐に任ぜられます。これにより、山田家は姓を栗花落(つゆ)と改めたといいます。

 

参考 兵庫伝説紀行 ー 語り継がれる村・人・習俗 ー 山田の里と白滝姫の伝説を訪ねる | 兵庫県立歴史博物館
参考 兵庫県神戸市兵庫区都由乃町 つゆの森のホームページ | 都由乃会
 

「鬼滅の刃」を考察するうえで、この伝説に登場する人物とその時代背景はとても興味深いものがあります。

例えば白滝姫の父・藤原豊成は、藤原南家・藤原武智麻呂の長男です。弟(次男)に藤原仲麻呂(恵美押勝)がいて、この人は道鏡と対立して乱を起こしました。

淳仁天皇は仲麻呂と道鏡の対立に翻弄された挙げ句、淡路島へ配流されてしまった天皇で、これに大きく関わっているのが孝謙上皇(称徳天皇)です。

 
淳仁天皇と孝謙上皇の系図
 

孝謙上皇は道鏡を重用して宇佐八幡宮の神託事件に至った人物で、別記事で考察をまとめる予定ですが、伊之助にイメージが重なる人物です。

そして宇佐八幡宮の神託を持ち帰った和気清麻呂(わけのきよまろ)は、アオイちゃんのイメージにも関わってくる人物なのです。

神崎アオイに重なる徳川慶喜

そう考えると、アオイちゃんの名字の「神崎」は、ちょっと重要なキーワードになってきます。

蝶屋敷での治療を終えて無限列車の任務へ向かう際、炭治郎がアオイちゃんに挨拶に行ったときに、彼女はこんなことを言っていました。

 

あなたたちに比べたら、私なんて大したことはないのでお礼など結構です。選別でも運良く生き残っただけ。その後は恐ろしくて戦いに行けなくなった腰抜けなので

(7巻 第53話)

 

徳川家にも、「腰抜け」と呼ばれた人物がいます。15代将軍・徳川慶喜です。

王政復古の大号令で内大臣の辞任と領地返納を求められた慶喜は、混乱を避けるため、御所に近い二条城から大坂城へ退去します。

しかし、江戸薩摩藩邸の焼き討ち事件などで薩摩藩征討の意見が高まっていた旧幕府軍は、慶応4年(1868年)1月3日に鳥羽・伏見で薩摩藩と衝突。6日に錦の御旗を翻した仁和寺宮(にんなじのみや)が出陣したことで、賊名を負わされる形となったことで戦意を喪失して大坂城へ敗走してしまうのです。

この時点で江戸へ戻ることを決意していた慶喜は、再挙を迫る諸有司・隊長等に対して「よし是より直に出馬せん、皆々用意せよ」と、自ら出陣すると号令する一方で、一部の近臣だけを伴ってその夜のうちに大坂城を脱出し、江戸へ帰ってしまうのでした。

朝敵となることをおそれ、大将が臣下を見捨てる形となったこの行動は、アオイちゃんの「恐ろしくて戦いに行けなくなった」というセリフにつながっていきそうですね。

慶喜が江戸へ戻る際、たまたま兵庫港に停泊していた軍艦・開陽丸を使うのですが、「徳川慶喜公伝」(大正6年)によると、「八軒屋(現・天満橋~天神橋間の南側)より舟に召されて天保山に著せらる(戊辰の夢。昔夢会筆記)」とあり、川を使って移動していることがわかります。

 
参考 「徳川慶喜公伝 4」 渋沢栄一著
 

神崎アオイにつながる神崎川

淀川・神崎川水系

 

当時、京都・大坂から瀬戸内海へ出るには、水深が十分あり船が停泊する場所にも恵まれていることから、淀川から神崎川(三国川)を経由するのが一般的でした。

もともと淀川と神崎川は別系統の川だったのですが、長岡京遷都(784年)に伴って淀川と三国川(神崎川)をつなぐ開削工事が行われたことで、物流の要衝として発展していたからです。

この工事の指揮をとったのが、宇佐八幡宮の神託事件にも登場した和気清麻呂です。

こうしてみると、刀鍛冶の里で甘露寺さんが、薩長の軍歌である「宮さん宮さん」を歌っていたのは(12巻 101話)、神崎川につながる鳥羽伏見の戦いを指すヒントだったと考えてよさそうですね。

また、煉獄さんの過去を描いた「鬼滅の刃【外伝】 煉獄杏寿郎外伝」では、新選組と関わりを匂わせる下弦の弐・佩狼(はいろう)が登場していました。

鳥羽の戦場では新選組の土方歳三も参戦していて、「もはや刀や槍の時代ではなくなった」と嘆いたといいます。

尊王攘夷志士たちの会合場所だった池田屋を襲撃して一躍名を上げた新選組ですが、そのきっかけとなったのは、倒幕活動の拠点となっていた炭薪商・枡屋の主人、古高俊太郎の逮捕で、このとき土方歳三の拷問により古高を自白させたとする説があります。

拷問が得意だという佩狼は、土方歳三とイメージが重なるところがあるようです。佩狼も神崎川につながる鳥羽伏見の戦いを指す鍵になっているのかもしれませんね。

神崎川は、また、「鬼滅の刃」に散りばめられている、「渡辺綱」、「藤原道長」、「源氏物語」といった鍵が集まる場所でもあるようです。(このキーワードに関しては、後ほど記事にまとめていきます)

淀川・神崎川の水運の出発地点だった渡辺津(現・天満橋~天神橋)は、平安時代には鬼退治で有名な渡辺綱が治めていた場所。

そして東三条院(藤原詮子)の住吉・天王寺の参詣に藤原道長が随行した際にも、神崎川が利用されていました。

「源氏物語」(平安時代中期)では住吉詣を済ませた光源氏一行が、江口の里(淀川と神崎川の分岐付近)の遊女とやり取りを交わす場面が描かれています。

「鬼滅の刃」では、地図の配置に物語の鍵が隠れていることが多いのですが、神崎川はそうした鍵の一つになっているようです。

 

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