鬼滅の刃・立志編は、貴船神社の神話を辿る(響凱と手鬼)

神社の鳥居

There seems to be a hint hidden in Teoni and Fujikasane mountain that points to Heian literature shch as “The Tale of Genji” and “The Pillow Book”.
手鬼と藤襲山には、平安文学の「源氏物語」や「枕草子」を指すヒントが隠れているようです。

(この記事は、「鬼滅の刃」1巻、2巻、3巻、4巻、9巻、14巻、18巻、19巻、ファンブック第一弾のネタバレを含みます)
 

前の記事で考察したように、無限列車編に登場するカナヲ、アオイちゃん猗窩座に重なるイメージは、神崎川を指すヒントになっていると考えることができそうです。

神崎川は淀川につながる川ですが、旧淀川には玉依姫命が遡上したことがきっかけで、貴船神社が創建されたという伝説が残されています。

神社仏閣を指すキーワード

貴船神社の神話もそうですが、「鬼滅の刃」に重なるイメージには神社仏閣が多数あります。そのヒントになっているのでしょうか。「鬼滅の刃」の物語の中にも、神社仏閣そのものを指す鍵を見つけることができます。

例えば、憎珀天の血鬼術・狂鳴雷殺を甘露寺さんが斬ったとき、それを見た炭治郎は「もんげー」と言っています(14巻 第122話)。

岡山弁の「すごい」を意味する言葉ですが、「妖怪ウォッチ」が好きな方なら、コマさんというキャラクターの口癖だということに気が付くようです。

人気漫画のリスペクトとも考えられますが、コマさんは田舎の神社から都会にやってきた「狛犬の妖怪」という設定があります。ヒントになっているのがコマさんであることに重要な意味がありそうです。

また、ファンブックでは、風柱・不死川実弥の出身地は「東京府、京橋區(中央区、京橋)」で、趣味は「カブト虫を育てる」(第一弾 七〇頁)ことと紹介されています。これも神社を指す鍵になりそうです。

中央区は日本橋川、京橋川、三十間堀、八丁堀といった水運の要路が集まる地域で、京橋川には薪炭や竹木類の問屋が集まる河岸がありました。

明暦の大火以降は移転させられてしまいますが、公認の芝居小屋も四座あり、日本橋と京橋の間にあった中橋南地は江戸歌舞伎発祥の地といわれています。

不死川さんの出身地は、古くから物流と芸能で人が集まる賑やかな場所だったようですね。

カブト虫がよくとれる場所はクヌギやコナラの生える雑木林なので、どちらかというと田舎のイメージがあります。不死川さんの住む地域と少し違うようですが、実は人の多い町の中でも採れる可能性があります。それが、社叢(鎮守の森)を持つ神社仏閣なのです。

原作でも、19巻 第166話の表紙に、不死川さんが神社で犬にお弁当を分けてやるところが描かれています。

神社仏閣が何かの鍵になっている、そう考えると、旧淀川、鴨川、貴船川周辺の神社仏閣には、鬼滅の刃・立志編に重なるイメージがいくつもあるようです。

お堂の鬼、鱗滝さん、狐面、沼の鬼、無惨、矢琶羽、朱紗丸、善逸に関しては一つ前の記事にまとめているので、よかったらこちらも覗いてみてくださいね。この記事では、響凱、手鬼に関してまとめていきます。

響凱

善逸と出会った炭治郎は、二人で次の鬼と戦うことになります(3巻 第20話)。その相手が、元下弦の陸・響凱です。

響凱に重なるイメージは2つあります。伏見稲荷(京都市伏見区)と鞍馬寺(京都市左京区)です。

この2つの場所に共通するのが義経伝説です。

卿の君と蕨姫

蕨姫のイメージ

響凱は体から複数の鼓を生やした鬼ですが、このイメージに重なるのが、歌舞伎「義経千本桜」に登場する源九郎狐(げんくろうぎつね)です。

義経の愛妾・静御前を助け、都落ちして義経が身を寄せていた川連法眼(かわつらほうがん)の館まで無事に送り届けたことで、褒美に義経の幼名・源九郎と初音の鼓を賜ったといいます。

源九郎狐と「鬼滅の刃」がつながる鍵は、上弦の陸・堕姫にヒントがありそうです。

堕姫の源氏名は「蕨姫」(9巻 第72話)。この名前と同じ人物が義経伝説に出てくるのです。

壇ノ浦の合戦で生き残った平時忠(たいらのときただ)の娘の一人が蕨姫という名前で、時忠は蕨姫を義経に嫁がせました。源氏と縁戚関係を持つことで、自分の延命を図ったといわれています。

時忠が配流された能登の地には、父親と一緒に蕨姫も流されてきたと伝えられていて、都落ちした義経が奥州平泉へ落ち延びる途中、姫に一目会いに現れたという悲恋が残されています。

「義経千本桜」では、蕨姫は「卿の君(きょうのきみ)」という名前で登場します。

事の発端は、平家を滅ぼした義経に、後白河法皇から初音の鼓が褒美として下されたことでした。

この鼓には、鼓の面を兄弟になぞらえて、「兄・頼朝を打て(討て)」という謎掛けが込められていたため、義経は鎌倉方から謀反を疑われてしまいます。

平家出身の卿の君を娶っていること、そして鎌倉に送った平家の武将の首が偽物だったこともあって、申し開きをするにはかなり不利な状況でした。

卿の君の自害により、義経と平家のつながりを否定できたかに見えたのですが、弁慶の短慮で鎌倉方の武将を討ち取ってしまい、卿の君の犠牲は無駄となってしまいます。

義経は都落ちを決意して、大物浦(だいもつのうら)を目指すことになります。

静御前には形見として、初音の鼓が与えられるのですが、その別れの場所が鴨川のそばにある伏見稲荷なのです。

大物浦は現在の兵庫県尼崎市大物町のことで、義経が屋島攻めの時にも利用した港です。古くから淀川河口の港町として発展していました。

「義経千本桜」で設定されている場所のいくつかは、旧淀川を遡る貴船神社の創建伝説と重なる場所なんですね。

源九郎狐

義経と別れた静は、その後鎌倉方の追っ手に見つかり、捕らえられそうになります。それを助けたのが義経の家来・佐藤忠信です。ただ、この忠信は狐が化けた偽物で、通称・狐忠信と呼ばれています。

実は初音の鼓は、桓武天皇(第50代)の御代、内裏で行われた雨乞いに使われたもので、夫婦の妖狐の皮で作られていました。忠信に化けた狐はその夫婦の子どもで、親を慕って鼓についていたのです。

事情を知った義経から初音の鼓を賜ることになった狐は大喜びで、その後も義経たちを妖術で助けてくれるのでした。

階段や欄間から急に現れたり、欄干の上を歩いたりする狐に、鎌倉方の兵士は翻弄されます。鼓を叩いて部屋を移動させたり、部屋を回転させて相手を翻弄する響凱の血鬼術とイメージが重なります。

歌舞伎の他にも、源九郎狐には奈良や大阪に昔話としていくつか伝説が残されています。亡くなったときの話もいくつかパターンがあるのですが、その一つに竈に関わるものがあります。

ある寒さの厳しい冬のこと、老齢のため本拠地としていた大和(奈良)からより暖かい和泉(大阪)へ向かったところ、疲れて人の家にある竈の灰の中に潜り込み、眠り込んでいるところを家の者が気づかずに火を使ったため焼け死んでしまったというのです。

「鬼滅の刃」でも、名前に「竈」の字を持つ炭治郎に響凱は退治されていますよね。

響凱の虎模様と鞍馬山

響凱に重なる「義経千本桜」は、伏見稲荷や大物浦につながっていくようです。

でも、響凱の顔に浮かぶ鬼の痣は、まるで虎の模様のようです。「義経千本桜」とは別のものをイメージさせますが、それは鞍馬寺である可能性が高そうです。

「鞍馬蓋寺縁起」(室町時代)によると、宝亀元年(770年)に鑑真和上の高弟・鑑禎上人(がんちょうしょうにん)が、正月4日の夜に見た夢と白馬の導きにより、鞍馬山を登ったことが鞍馬寺の始まりとされています。

このとき、鑑禎上人は山中で鬼女に襲われるのですが、危ないところを毘沙門天に助けられます。それが寅の月、寅の日、寅の刻だったことから、鞍馬寺は寅(虎)と縁が深いお寺として有名なのです。

鞍馬寺は貴船神社のすぐ近く。そのそばを流れる鞍馬川は、貴船川と賀茂川をつなぐ川でもあります。地形的に見て、鞍馬川の一部は神話の川上りルートに入っているといえそうです。

鞍馬山の義経伝説

鞍馬寺が重要なところは、義経伝説を伝える場所の一つというところです。

山の北西部にある僧正ガ谷不動堂は、義経が鞍馬寺に預けられた頃、ここで天狗と出会い、毎夜剣術の修業のために通ったと伝えられる場所なのです。

堂の向かいには、遮那王尊(遮那王は義経の稚児名の一つ)を祀る義経堂があります。

義経は奥州平泉で最期を遂げた後、魂だけとなって鞍馬寺に戻り、護法魔王尊を助けていると考えられているんですね。

手鬼を退治した炭治郎が錆兎と真菰に呼びかける際、「死んでいたら俺の魂も帰った。禰豆子と鱗滝さんのいる所に」とつぶやいている様子と重なります(2巻 第8話)。

また、鞍馬寺は、神話の最終地点・貴船神社の奥の院の南南東に位置しています。炭治郎たちに鼓の館へ向かうよう指示が出たとき、鎹鴉は「次ノオ場所ハァ南南東!!」(3巻 第19話)と言うのと一致しているのです。鞍馬寺に関しては、もう少し詳しく見ていく必要がありそうです。

手鬼

京都に都が移った平安時代以降、都の北方を護る鞍馬寺は人々の崇敬を集めていました。道長をはじめとする藤原一門はもちろん、清少納言や紫式部も参詣に訪れています。

清少納言は「枕草子」(平安中期)の中で、「近うて遠きもの、くらまのつづらをりといふ道」と記しています。

こうした鞍馬寺の特徴を考えると、藤襲山にいた手鬼のイメージも重なってきそうです。ヒントは「源氏物語」(平安中期)の第5帖「若紫」です。

ここに出てくる「北山になむ、なにがし寺(北山の某寺という所)」は、鞍馬寺のことだとする説があるのです。この「北山のなにがし寺」をよく見ていくと、「鬼滅の刃」に出てくる藤襲山に重なってきそうです。

鞍馬山と藤襲山

例えば源氏の君にとって、北山のなにがし寺は、若柴(後の紫の上)と出会った重要な場所となっています。

若柴は、源氏の君が密かに思いを寄せていた藤壺によく似た面立ちをした少女で、実は藤壺の兄の娘だったという因縁浅からぬ関係でした。

このイメージに重なるのが、藤襲山の最終選別に現れた手鬼です。炭治郎との会話の中で、手鬼は鱗滝さんと深い因縁を持っていることが明かされます(1巻 第7話)

源氏の君と炭治郎は、どちらも山で、深い因縁を持つものと出会っていることになるのです。

さらに若柴と手鬼にも、共通点があります。「鬼滅の刃」では、手鬼は「そこにいるはずのない鬼」と説明されています。

最終選別は鬼殺隊の入隊希望者が受ける試験。本来は、「人間を二・三人喰った鬼しか入れていない」こと、そして「選別で斬られるのと、鬼は共喰いする」ことから、手鬼のように長く生きて異形の鬼となるものはいないというんですね。

「源氏物語」の若柴でも、若柴のような意外な人、思いがけない人を源氏の君が見つけたことについて、こんな表現がでてきます。

よくさるまじき人をも見つくるなりけり
よく思いがけない人を見つけになるものだ。

「さるまじ」は、「然るまじ」と書いて、「そうあるべきでない」、「適当でない」という意味があります。「さるまじき人」は言葉の意味からすると、「そこにいるはずのない人」となって手鬼とつながります。

同じ読みでも「避るまじ」の場合、「避けがたい、のがれられない」という意味になるところも興味深いですよね。

手鬼や藤襲山の設定に関しては、早くから謎や矛盾があると指摘されている点ですが、謎解きの鍵が隠れていると考えると重要な意味を持つ部分だと言えるようです。

枕草子に絡むヒント

さらに「枕草子」には、「鬼滅の刃」とイメージが重なる場面がいくつもあるようです。

例えば、清少納言が初めての宮仕えをする様子が描かれる、「宮に初めて参りたるころ」(一八四段)では、宮中の華やかさに気後れして几帳の陰で小さくなっている清少納言が登場します。

中宮定子の兄・伊周(これちか)に話しかけられても、返事もできずに顔に袖を当ててその場に突っ伏してしまうところは、義勇さんの前でうずくまる炭治郎の姿に重なります(1巻 第1話)

そんな清少納言に、中宮定子は自ら近づいて、絵などを見せて話しかけてくれます。

この時、着物の袖からわずかに見える定子の手の様子を、清少納言は「いみじうにほひたる淡紅梅(うすこうばい)なるは、限りなくめでたし…」(色がただよいでるような色つやの淡紅梅でいらっしゃるのは、このうえなく美しいことだ)と、印象的に描いているのです。

手鬼も手に執着する鬼で、暗闇で手を握ってくれた兄を恋しく思う様子が描かれています(1巻 第7話)

源氏物語に絡むヒント

さらに興味深いのは、2巻 第9話で、炭治郎は藤襲山に閉じ込められた鬼たちから、鬼が人間に戻る方法を聞き出そうとしているところです。

2巻 第15話でも、鬼であり医師でもある珠世さんが、「鬼を人に戻す治療法を確立させたい」と言っていて、「鬼=病」という構造がうかがえます。

「源氏物語」も、源氏の君が北山のなにがし寺にやってきたのは、なかなかよくならない瘧病(おこりやまい)を治すためでした。炭治郎の動機とつながるところがあるのです。

こうしたヒントの数々は、「源氏物語」や「枕草子」が謎解きするうえで重要な鍵となっていることを示す、さらに重要なヒントになっていると考えることができそうです。

伊之助

鼓の館では、炭治郎たちと同じく館に迷い込んだ伊之助が登場します(3巻 21話)。

この伊之助のイメージに重なるのが、鞍馬山に鎮座する由岐神社(京都府京都市左京区)です。

朱雀天皇(第61代)の御代、富士山の噴火や地震、洪水といった天変地異が続き、地方でも平将門の乱や藤原純友の乱が立て続けに発生して世が乱れていました。

このため、天下泰平と万民幸福を祈念して、御所で祀っていた由岐大明神を北の護りとして遷宮したのが由岐神社の始まりです。

10月に行われる例祭は、「鞍馬の火祭」とも呼ばれる京都三大奇祭の一つ。遷宮の行列に感激した住民が、由岐大明神の霊験を後世に伝えるために始めたといいます。

祭りでは無数の松明が使われるのですが、興味深い点は、大松明の担ぎ手が独特の姿をしているところです。

身につけるものは限られていて、ほとんど裸。上半身は肩から腕を被う船頭篭手を身につける程度で、その上に白布の肩当てをたすき掛けにしています。

腰周りには白い下がりをつけ、その下には黒い締め込み(神事の際に装束としてつける、ふんどし)をつけています。足元は黒い脚絆に黒い足袋、そして武者草鞋を履いています。

伊之助も上半身は裸。隊服のズボンをはいていますが、下着はふんどしです(4巻 第24話)。

腰周りには下がりのように鹿毛をつけ、すねには脚絆のように熊毛を巻いて、足元は素足ですが草鞋を履いているようです。火祭りの装束とどこか似ているのです(3巻第21話末のイラスト)。

もう一つ興味深い点は、由岐神社の狛犬は日本でただ一つ、子どもを抱いた姿をしているところです。

「俺には親も兄弟もいねぇぜ」(4巻 第27話)と言っていた伊之助ですが、18巻では命にかえても伊之助のことを守ると約束していた母親の存在が明かされます(第160話)。

由岐神社の子どもを抱いた狛犬は、伊之助母子の姿と重なります。

参考 鞍馬 由岐神社 | 由岐神社とは 御由緒

まだまだ続きます。次は那田蜘蛛山のイメージを捜していきます。