鬼滅の刃・立志編は、貴船神社の神話をたどる(無惨と牛頭天王)

大阪・大川

It seems that the myth of Kifune Shrine is woven into the Ritsushi chapter of “Demon Slayer: Kimetsu no Yaiba” as the key to solving the mystery.
「鬼滅の刃」立志編には、貴船神社の神話が謎解きの鍵として織り込まれているようです。

(この記事は、「鬼滅の刃」1巻、2巻、3巻、4巻、6巻、17巻、「ファンブック第一弾」のネタバレを含みます)
 

前の記事で考察したように、無限列車編に登場するカナヲ、アオイちゃん猗窩座に重なるイメージは、神崎川を指すヒントになっていると考えることができそうです。

神崎川は淀川につながる川ですが、特に旧淀川(現・大川、堂島川、安治川)には貴船神社にまつわる興味深い伝説が伝えられていて、「鬼滅の刃」の物語に織り込まれた鍵の一つになっているようです。

川を遡る玉依姫命

貴船神社の社記「御創建伝説」によると、反正天皇(第18代)の御代、浪花の津(現・大阪湾)に現れた神武天皇(第1代)の母・玉依姫命が、黄色い船に乗って淀川・鴨川・貴船川を遡ったところ、清水の湧き出る霊境吹井(れいきょうふきい:神聖な龍穴のこと)を見つけたので、そこに水神を祀るための祠を建てたのが貴船神社の起源であると伝えています。

 
参考 貴船神社について 御祭神 | 貴船神社
 

義勇さんの好物は鮭大根(1巻 第41話末 大正コソコソ噂話)。鮭は産卵のため、川を遡上する性質があります。川を遡上する貴船神社の伝説につながるものがありそうです。

そう考えると、旧淀川、鴨川、貴船川の周辺をよく見ると、鬼滅の刃・立志編に重なるイメージがいくつもあるようです。

以下、鬼の名前は「ファンブック第一弾」(九〇~九一頁)を参考にしています。

お堂の鬼

大阪の大動脈といわれる御堂筋(みどうすじ)は、堂島川(旧淀川)と交差して、キタ(梅田)とミナミ(なんば)をつなぐ幹線道路です。

1920年代~30年代に、堺筋に代わる新たな目抜き通りとして整備・拡張されました。

名前の由来は、北御堂(本願寺津村別院、大阪市中央区本町)と南御堂(真宗大谷派難波別院、大阪市中央区久太郎町)が沿道にあったからと言われています。

2つの御堂をつなぐ道だから御堂筋というわけですが、「御堂」は「おどう」と読むことができます。

狭霧山に向かう炭治郎たちが、山中のお堂で出会った鬼の名前と一致します(1巻 第2話)。

鱗滝左近次

お堂の鬼が登場した後、義勇さんの手紙を受け取った鱗滝さんが、途中まで炭治郎たちを迎えに来てくれていました。(1巻 第2話)

鱗滝さんは、水の呼吸の元柱。そのイメージに重なるのが、神崎川右岸にある垂水神社(吹田市垂水町)です。

御祭神は、豊城入彦命(トヨキイリヒコノミコト)。

この方は崇神天皇(第10代)の第一皇子なのですが、夢占いの結果により、皇位を異母弟の活目尊(イクメノミコト)に譲って東国平定に向かった人物。

父である崇神天皇は、四道将軍を任命して全国平定を行ったと言われていて、四道将軍の一人、吉備津彦命(キビツヒコノミコト)は岡山の桃太郞伝説のモデルと考えられています。

「鬼退治」のキーワードにつながっていくんですね。

また、垂水神社は「崖から流れ落ちる水」を意味する名前のとおり、水と深く関わる伝説のある神社です。

孝徳天皇(第36代)の御代に発生した干魃の際、豊城入彦命の六世孫である阿利真公(ありまのきみ)が、難波宮(大阪市中央区法円坂一帯)まで高樋(たかひ)を作って垂水の水を宮内に供奉したといい、その功績により姓を賜って垂水神社を創建したといいます。

水に関わる伝説と鬼退治のキーワードは、鱗滝さんにぴったりです。

最終選別の狐面

藤襲山の最終選別へ向かう炭治郎に、鱗滝さんはお守りとして狐面を渡します(1巻 第6話)。このイメージに重なるのが、伏見稲荷大社(京都市伏見区)です。

お稲荷さんの使いは白狐といわれ、伏見稲荷の境内にも狐の像が沢山あります。

また、最終選別を仕切っていたお館様の子どもたちのうち、一人は「くいな」という名前だったようです(17巻 第144話)。伏見稲荷の側を流れる鴨川に、「くいな橋」という名の橋が掛かっているのは興味深い一致です。

また、伏見稲荷の少し南には、豊臣秀吉の築いた伏見城がありました。秀吉が亡くなった後は徳川家康の居城となります。

本多忠刻(ほんだただとき)の正室として姫路で暮らした千姫は、伏見城の徳川屋敷で生まれたお姫様です。

「千姫」のキーワードで、伏見と姫路はつながっているようです。

沼の鬼

巨椋池のイメージ

かつて京都市伏見区の南部から宇治市の西部、久御山町(くみやまちょう)の北東部にかけて、蓮の花の名所として有名だった巨椋池(おぐらいけ)と呼ばれる大きな湖がありました。

豊臣秀吉が伏見に居城を移す際、大阪城と伏見城をつなぐために宇治川の改修工事を行っているのですが、その工事の一つに「淀堤(文禄堤)」の造築があります。

この堤ができたことで、巨椋池の北西に、池から切り離された形で横大路沼(よこおおじぬま)ができました。

炭治郎に課せられた最初の任務、北西の町に現れた沼の鬼にイメージが重なります(2巻第10話)。

 
参考 2019年9月21日 夕方 巨椋池 | 京都 町家暮らし いろいろ(続編)
参考 宇治川の歴史 豊臣秀吉と宇治川 |国土交通省
 

鬼舞辻無惨

沼の鬼を退治した炭治郎は、休む間もなく浅草へ向かいます。そこで遭遇するのが、鬼舞辻無惨です(2巻 第13話)。

無惨は立志編にも無限列車編にも登場します。

ということは、立志編のイメージに重なる淀川・鴨川・貴船川周辺と、無限列車編のイメージに重なる姫路との間に、共通するものがあると考えることができます。

それが、京都の八坂神社(京都府京都市東山区祇園町)と、姫路の廣峯神社(兵庫県姫路市広嶺山)です。

この二つの神社は、どちらが牛頭天王(ゴズテンノウ)の総本宮なのかで揉めている微妙な関係にあります。

総本宮の件は横に置いておいて、両神社には「つながりがある」と考えることができますよね。

牛頭天王は祇園精舎の守護神と言われる神様で、薬師如来を本地仏とし、素戔嗚尊(スサノオノミコト)と同体とされているのですが、来歴などがはっきりしない正体不明の神様です。

素戔嗚尊の他にも武塔天神(ムトウテンジン)、祇園の神、天道神(テンドウジン)、天刑星(テンケイセイ)など様々な神様と同一とされていて、インドの戦いの神インドラとも同一視されています。

インドラは甲冑をつけ、象に乗り、金剛杵を手に毒龍と戦う神様です。インドから中国に入って仏教の守護神となり、その名前が梵語で「帝王」を意味することから帝釈天と呼ばれるようになったことを考えると、魘夢にイメージが重なる仏教説話「月の兎」にもつながっていきそうです。

兎が命を差し出したのは、老夫やバラモンに姿を変えた帝釈天でした。通称パワハラ会議では、無惨は女性に姿を変えています(1巻 第52話)。そして他の鬼が制裁されていく中、最後に魘夢は自らの命を無惨に差し出すのです(6巻 第52話)。

兎=魘夢、帝釈天=無惨とイメージが重なります。

興味深いのは、牛頭天王は疫病除けの神様で、疫病に関わる蘇民将来伝説が伝えられているところです。

伝説によると、瑠璃鳥のお告げにより、牛頭天王は花嫁探しのために竜宮城へ向かいます。旅の途中で宿を求めるのですが、断った金持ちの巨旦将来(こたんしょうらい)は滅ぼされ、貧乏でも丁寧にもてなした蘇民将来(そみんしょうらい)は牛頭天王の加護を受けて幸せに暮らしたといいます。

安倍晴明が編纂したと伝わる「簠簋内伝」(ほきないでん)(成立年代に諸説あり)にもこの話が掲載されています。

ただ、「簠簋内伝」によると、牛頭天王が蘇民将来の子孫を守護すると約束した際に、自分は末世には疫病神になると伝え、そのとき蘇民将来の子孫を守護するしるしとして二六の秘文を授け、五節句の祭礼を正しく行えるようその意味を教えたといいます。

すなわち、正月一日に用いる赤白の鏡餅は巨旦の骨肉。三月三日の草餅は巨旦の皮膚。五月五日の菖蒲、結粽は巨旦の鬢髪(びんぱつ)。七月七日の小麦索麺は巨旦の継(すじ)。九月九日の黄菊の酒水は巨旦の血脈。

そして、蹴鞠の鞠は巨旦の頭、的は巨旦の眼、門松は巨旦の墓験(はかじるし)であり、正月の行事から葬礼の作法までことごとく巨旦を調伏するための儀式だというのです。

この中の「蹴鞠の鞠は巨旦の頭」「的は巨旦の眼」という部分は、無惨が炭治郎を殺すために差し向けた2人の鬼とイメージが重なります(2巻 第14話)。

矢琶羽と朱紗丸

毬を操る朱紗丸と、両手のひらに眼を持つ矢琶羽、この二人の鬼も、鴨川周辺にイメージが重なる場所があります。

矢琶羽には、後白河上皇の離宮内に創建された「蓮華王院」、通称三十三間堂(京都市東山区三十三間堂廻町)にイメージが重なります。

本堂には本尊の千手観音坐像と、千一体の千手観音立像が安置されています。

千手観音は、「生きとし生けるものすべてを漏らさず救う」といわれ、千の手と、手のひらにある千の眼によって、悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べるとされています。

愈史郎の血鬼術で隠された建物を、両手のひらの目で見つけ出した矢琶羽とイメージが重なります(2巻 第15話)。

また、三十三間堂は、鎌倉時代から弓の腕前を競い合う「通し矢」が行われていて、現在も毎年、弓道の全国大会が開かれています。

大会に先立って行われる「弓の引き初め」は、新春恒例の行事。弓術をたしなむ新成人がその腕を競います。

矢琶羽の使う血鬼術は、「紅潔の矢(こうけつのや)」といいました(3巻 第17話)。巨旦の眼とされる「的」や三十三間堂で行われる「弓矢の的」と、イメージが重なります。

そして朱紗丸は、鴨川から賀茂川に変わる辺りに位置する、賀茂御祖神社、通称下鴨神社(京都府京都市左京区下鴨泉川町)にイメージが重なりそうです。

この神社は、毎年1月4日に蹴鞠の奉納があることで有名です。朱紗丸も、「楽しいのう、楽しいのう、蹴毱も良い」といって、禰豆子と毱の蹴り合いになっていました(3巻 17話、18話)。

また、この神社は葵祭の「路頭の儀」の行列の経由地で、「源氏物語」とも深いつながりがあります。

第9帖「葵」では、六条御息所を巻き込んだ車争いの舞台となった場所として有名です。そして参道にある糺の森は、第12帖「須磨」で、都を離れる光源氏がその心情を詠った場所でもあります。

別記事でまとめますが、「源氏物語」は「鬼滅の刃」に織り込まれた鍵の一つになっているようです。

善逸

立志編中盤に登場する善逸のイメージに重なるのは、賀茂川のそばにある賀茂別雷神社、通称上賀茂神社(京都府京都市北区上賀茂本山)です。

この神社の御祭神は、賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)。賀茂川を流れてきた丹塗矢(にぬりや)の力で懐妊した賀茂一族の姫・玉依日売命(たまよりひめのみこと)の子どもと伝えられる神様です。

「釋日本紀」(鎌倉時代末期)に引用される上賀茂神社の伝承によると、数多の神々を招いた元服の祝宴の席で、自分の父と思う神に盃を勧めるよう促された賀茂別雷大神は、「我が父は天津神なり」と言って天上に盃をなげ、甍を破って雷鳴と共に天へ昇ったという伝説があります。

蜘蛛の鬼(兄)を退治したとき、霹靂一閃を六連も繰り出して、蜘蛛の糸で宙に吊られた小屋を突き破った善逸の姿に重なります(4巻 第34話)。

まだまだ続くので、響凱、手鬼、那田蜘蛛山に関しては別記事にまとめていきます。

 

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