「犬夜叉」の妖怪「結羅」は、「鬼滅の刃」の累と重なるイメージがあります。
Yura has another name, “Sakagami”, and that keyword seems to be an important association key in “Demon Slayer: Kimetsu no Yaiba”.
結羅は「逆髪」という二つ名がありますが、そのキーワードは「鬼滅の刃」でも重要な連想の鍵になっていそうです。
(この記事は、「鬼滅の刃」1巻、2巻、10巻、11巻、12巻、16巻、ファンブック第一弾のネタバレを含みます)
西陣のイメージと重なる累と「犬夜叉」の妖怪には、共通するイメージがあります。「蜘蛛」、「繭」に関しては前の記事を見てもらうとして、この記事では「逆髪」を鍵としてつながっていくイメージをまとめていきます。
「逆髪」という言葉は、「犬夜叉」では「逆髪の結羅」という妖怪の名前として登場しますが、能「蝉丸」では、蝉丸の姉宮の名前として登場します。
実は愈史郎とイメージが重なる「方丈記」にも、蝉丸の旧跡を訪問したことが出てきます。「逆髪」につながる「蝉丸」というキーワードは、「鬼滅の刃」では重要な鍵になっていそうです。
関明神となった蝉丸
逆髪の弟宮・蝉丸は、醍醐天皇(第60代)の第四皇子とも、宇多天皇(第59代)の第八皇子の雑色(雑事に従事する無位の役人)ともいわれる謎の多い人物です。
正体ははっきりしないものの、歌人や琵琶の名手として有名で、「百人一首」(1235年)にもその歌が取り上げられています。
これから行く人も帰る人も、互いに離れては去っていく。親しい人も親しくない人も出会う、これがあの逢坂の関なのだな
(百人一首 十番)
「百人一首」には、六十二番に「枕草子」の著者・清少納言の歌が収められています。
夜がまだ明けないうちに、時を告げる鶏の鳴き真似をして騙そうとしても、逢坂の関は決して通ることを許しませんよ
(百人一首 十番)
翌日の予定を理由に子の刻(午後11時~午前1時ごろ)のうちに帰ってしまった友人の、「昨日は鶏の鳴き声に急かされてしまって」と言い訳する文への返歌に、函谷関(かんこくかん)の故事を織り込んでいるのですが、ここに逢坂の関が出てくるのです。
中国の史記に記された故事。斉の孟嘗君(もうしょうくん)が、秦国から脱出する際、一番鶏が鳴くまで開かない決まりだった関所・函谷関を、鶏の鳴き真似が上手な者に真似させることで、無事に通ることができたという話。
別記事でまとめていきますが、清少納言と紫式部は「鬼滅の刃」の鍵になっている可能性があります。
「源氏物語」の著者・紫式部の歌も百人一首の五十七番に収められていて、紫式部が父親に同行して越前国(現在の石川県の一部)に滞在していたころの作と言われていいます。こちらの歌は、石川県・能登の伝説「蕨姫」につながる鍵になっていそうです。
こうした歌の関係は偶然なのか意図的なのかはわかりません。でも、蝉丸に関わりがあるとされる醍醐天皇の右大臣が、「鬼滅の刃」でも重要な鍵となる菅原道真ということを考えると、いくつかの鍵が蝉丸という人物に向かっているように見えます。(菅原道真に関しても、別記事でまとめていきます)
境界の神が示すもの
蝉丸は諸説ある中でも、逢坂山に遁世していたという話は一致しています。そのためか、時代が下ると逢坂の関の坂神と習合し、現在も関明神として関蝉丸神社に祀られています。
この神様は音曲芸能の神として信仰を集めていて、江戸時代には関蝉丸神社の別当となった近松寺(こんしょうじ)から免状が交付されて、諸国を放浪する芸能民を統轄していました。
こうした芸能民は、賤民と呼ばれる人々でもありました。賤民と呼ばれる人々には、琵琶法師、放下師、辻能狂言師、辻角力、人形操師、傀儡師、白拍子など、鬼滅の刃のキーワードとつながる人々がいました。
蝉丸と習合した坂神は道祖神(塞ノ神)や竈神と同じ境界を守る神様で、こうした神々のご利益をまとめるとこんな感じになります。
- 旅の道中の安全
- 子授け
- 縁結び
- 腫れ物や疣、下の病(性病)などの治癒
- 疱瘡を軽く済ませる
「皮膚の病と境界の神 日本の『賤民』史研究への一階梯」によると、こうした神々には衣類や片袖、獣皮などを捧げる習俗があったと指摘されていて、「万葉集」(奈良時代末)にもそのことを詠んだ和歌があります。
あなたに会えないので、夕占を問うては手向けとして置くので、私の衣の袖は、またそれを継ぐことになるよ
(万葉集 巻十一 二六二五)
「鬼滅の刃」でも、義勇さんの羽織は姉・蔦子と親友・錆兎の着物を半分ずつ継いだものでした。境界の神への捧げ物にイメージが重なります。
無限列車編につながるイメージ
「皮膚の病と境界の神 日本の『賤民』史研究への一階梯」によると、境界の神に対する信仰は、「内部に涸れることのない霊水を湛えた岩」や、「小石(子石)を生む大石」といったイメージに象徴される、母子信仰、特に胎内神(御子神に通じる胎内神)への信仰で構成されているといいます。
奉納される片袖は母胎の「胞衣」(えな)にあたり、御子神はそこに籠もって霊力を更新するというのです。
無限列車編のイメージが重なる姫路・射楯兵主神社の臨時祭「三ツ山大祭」では、小袖山という置山が設置されます。この置山は、山全体が小袖で覆われています。
鎌倉時代以降に表着として用いられるようになるまでは、小袖は大袖の下に着用する下着の役割をする衣類でした。肌に直接当たるものだったわけですね。
そう考えると、小袖山はまるで御子神を覆う片袖のように見えてきます。
遊郭編につながるイメージ
下着のような役割をしていた小袖は、鎌倉時代になると表着として着用されるようになり、袖に振りがつくようになります。江戸時代になると、袖の振りはさらに大きくなり、振袖が生まれます。
アニメ版の「鬼滅の刃」遊郭編のエンディングでは、空を飛ぶ反物を三人の女の子が追いかける様子が描かれていました。
反物は着物を仕立てる素材で、一反は一着分の着物を仕立てることができる単位。長さは3丈(約12m)ほどあります。
遊郭編に登場する上弦の陸・堕姫は帯を使う鬼でした。ただ、帯に用いる生地も「反物」と呼ばれるのですが、それは長くても4m50cmほど。一反に満たないのです。
堕姫の帯もアニメ版に描かれる反物もかなり長さがあって、どちらかというと帯というより着物を仕立てる反物のイメージに近そうです。そう考えると、エンディングに描かれる反物とイメージが重なる怪談話が思い浮かびます。明暦の大火にまつわる「振袖火事」です。
食事もとらず思い詰める娘を不憫に思った両親は、せめてもと寺小姓の着物と同じ模様の振袖をつくらせるのですが、娘は日に日に弱っていき、とうとう翌年の1月16日に焦がれ死んでしまうのでした。
振袖は娘とともに野辺送りに出され、本妙寺に納められました。そして葬儀が済むと、慣例どおり古着屋に売られ、墓堀り人足の清めの酒代にあてられたのでした。
しかし奇妙なことに、その翌年、梅野が亡くなったのと同じ日に、今度は上野の紙商・大松屋又蔵の娘・きのの葬儀に同じ振袖が本妙寺に納められたのです。
着物は再び古着屋に売られたのですが、その翌年、やはり梅野が亡くなったのと同じ日に、今度は本郷元町の麹商・喜右衛門の娘・いくの葬儀に同じ振袖が本妙寺に納められたのでした。
娘たちの年齢は、皆、数えで17歳。ここまで重なると関係者一同は恐ろしくなって、娘たちの親が施主となり、因縁の日を避けて1月18日に寺内で大施餓鬼を修することになりました。
ところが、振袖が火に投じられると一陣の風が北の空から舞い下りて、振袖を本堂の真上に吹き上げてしまったのです。袖模様に火のついた振袖は、さながら人間が立ち上がったような姿に見えたといいます。
その後、舞い落ちる火の粉によって本堂の屋根から出火。江戸の町の大半を灰燼に帰す大火となりました。これが明暦の大火の顛末だといいます。
この話の中に出てくる墓掘り人足も、賤民と呼ばれる人々です。
「皮膚の病と境界の神 日本の『賤民』史研究への一階梯」では、境界の神が衣類や片袖、獣皮を求めるため、それを献納する習俗が生まれ、そうした神々を信仰対象としていた賤民も「身に付けている表皮」を取得する権利を持ったのではないかと指摘しています。
「振袖火事」の中では、清めの酒代として権利を得ているわけですね。
こうしてみると、無限列車編も、遊郭編も、境界の神を信仰の対象とする文化でつながっていそうです。
境界の神のご利益から見えるもの
境界の神のご利益には、以下のようなものがあります。
- 旅の道中の安全
- 子授け
- 縁結び
- 腫れ物や疣、下の病(性病)などの治癒
- 疱瘡を軽く済ませる
一見バラバラですが、「皮膚の病と境界の神 日本の『賤民』史研究への一階梯」によると、境界の神が月神としての性格も備えているため、月の霊水(月の若水)によって人間の身の皮を剥ぎとり、病気になった皮膚をよくしてくれると考えられていたといいます。
月の霊水は、万葉集の和歌にも出てきます。
天へと通じる橋がより長く、高い山もより高くあったらいいのに。月読尊(つくよみのみこと)がお持ちの復ち水をいただいてきて君に奉り、若返っていただくのに
(万葉集 巻第一三 三二四五番)
※をち=復ち 復活する意味
こうした境界の神のご利益をよく見ると、「鬼滅の刃」のイメージがちりばめられているようです。
道中安全のご利益
「道中」というのは旅やその道筋のことで、「旅路」とも表現されます。普通は旅行のことを指しますが、「死出の旅路」という言葉があるように、あの世へ行くことも表します。
清少納言が仕えた人物、一条天皇(第66代)の皇后・定子の辞世歌とされているものにも、こんな歌があります。
知る人もいない別れ路に、もうこれが最後ということで、心細いことですが急ぎ立とうとしているのです
「別れ路」には、「人と別れて行く道」や「この世と別れて行く道」といった意味があります。この歌では、途絶えさせる・終わらせるの意味の「断つ」と、旅立つ意味の「立つ」が掛詞になっています。
堕姫と妓夫太郎が最後にたどり着いた暗い場所と、イメージが重なります。(11巻97話)
興味深いのは、清少納言の歌が収められていた「百人一首」は、皇后・定子も関わりがあるという点です。
「百人一首」の元になった歌集として「百人秀歌」(1235年)がありますが、「百人秀歌」には定子の辞世歌三首のうち一首が収められているのに、「百人一首」では外されているのです。それが以下の歌です。
夜を過ごす間、夫婦の縁を結んだことをお忘れでないなら、思慕の情を寄せて流す涙はどんな色をしているのか知りたいのです
(百人秀歌 五十三番)
古来、深い悲しみの涙は「血の涙」と表現されていました。かぐや姫を失ってお爺さんとお婆さんが流したのも血の涙です。
お爺さんとお婆さんは血の涙を流してうろたえたが、どうしようもなかった
「竹取物語」(成立年未詳)
「鬼滅の刃」でも、炭治郎が血の涙を流していましたよね。(10巻 第82話)
こうした生と死のイメージは、境界の神から連想を展開するうえで重要な鍵になっているようです。
子授け、縁むすびのご利益
道祖神は男女一対で祀られることもあって、子授けや縁むすびがご利益になっています。古い言い伝えによると、道祖神(塞ノ神)には人の出産に関わる伝説があるようです。
(ふるさとのはなし 3 関東地方/さえら書房 千葉県の伝説)
道教の書物によると、特に竈神には人の生死に関わる伝説があります。
(「抱朴子(ほうぼくし)」 317年ごろ)
人の死に関しては、仏教にも衣服に関わる伝説があります。
川を渡ると懸衣翁(けんえおう)と奪衣婆(だつえば)がいて、死者の服を剥ぎ取り、そばにある衣領樹(えりょうじゅ)という木にかけて、生前の罪の重さをはかる。
死者が衣服を着ていない場合、懸衣翁によって生皮を剥ぎ取られるとされている。
「地蔵十王経」
その後、十王によって審判が行われるのですが、「抱朴子」に登場した「司命」はここにも描かれていて、司録(しろく)とともに十王の書記役を務めるのです。
興味深いのは、「角川 漢和中辞典」によると、「司命」という言葉には「生かしたり殺したりする権力を持つもの」という意味があるところです。
「生殺与奪の権を他人に握らせるな」(1巻 第1話)という義勇さんのセリフにイメージが重なります。
下の病のご利益
下の病というのは、男女の性病や婦人病のことをいいます。
「皮膚の病と境界の神 日本の『賤民』史研究への一階梯」によると、梅毒が日本に入ってきた当時は唐瘡とか琉球瘡などと呼ばれていて、中国や沖縄を通って入ってきた皮膚の病ととらえられていたといいます。
皮膚の病と考えられていたからこそ、皮を剥ぎとることで病気になった皮膚をよくしてくれるという、境界の神が持つ月神の性格に期待して人々は祈ったわけですね。
「鬼滅の刃」でも、妓夫太郎と堕姫の回想シーンでは、梅毒をイメージさせるエピソードが描かれていました。(11巻 第96話)
疱瘡のご利益
そして境界の神は、疱瘡を軽く済ませてくれる疱瘡神でもありました。病人の部屋に疱瘡神の人形が祀られるとき、猩々(しょうじょう)が使われていたようです。
「鬼滅の刃」でも、日輪刀の材料の名前として出てきますよね。(2巻 第9話)
猩々というのは、古代中国に伝わる架空の生き物のことです。姿は猿に似て全身が赤く、海にすんでいるとされています。能の演目ではお酒好きで陽気な神様として、秋月の夜に現れます。
「頭から血をかぶったような鬼だった、にこにこと屈託なく笑う、穏やかに優しく喋る」(16巻 第141話)と表現される童磨とイメージが重なります。
古来、疱瘡の患者が出ると、できるだけ多くの赤いもので患者の身の周りを揃えるという風習がありました。患者が赤い衣類を着るのはもちろん、布団、足袋、玩具、食べ物、祀っている疱瘡神の装束や供物、見舞いの疱瘡絵、そして看病をする人も赤い着物を着るというように徹底していたのです。
「赤」には疱瘡神をはじめとする病魔・鬼神を退散させるという言い伝えがありますが、「疱瘡の痘疹(とうしん)が赤い色をしているものは軽くすむ」ということが経験的に知られていたことも影響しているようです。
「赤もの」(赤い色のもの)で身の周りを固めることで、痘疹の色も赤くなって、病気が軽くすむことを願っていたわけです。
屏風衣桁に、赤き衣類をかけ、そのちごにも、赤き衣類を着せしめ、看病人も、みな赤き衣類を着るべし、痘の色は赤きを好とする故なるべし
衣桁屏風(折りたたみ式の着物を掛けておくための家具)に赤い衣類を着せさせ、看病人も皆赤い衣類を着なければならない。天然痘の色は赤いことが良いとするからであろう。「小兒必用養育草」香月牛山(元禄16年、1703年)
参考 疱瘡絵の文献的研究 川部裕幸 | 日本の論文をさがす CiNii Articles
国立感染症研究所のホームページにも、天然痘には2種類あることが紹介されています。”variola major”は致死率が20~50%にもなりますが、”variola minor”の致死率は1%以下となっています。
「身の皮を剥ぐ」というキーワード
「人間の身の皮を剥ぎとる」というキーワードに関しては、ファンブック第一弾にも境界の神の文化につながりそうなヒントがあります。甘露寺さんの誕生日、6月1日です。(ファンブック第一弾 六五頁)
旧暦になりますが、この日は「むけの朔日(むけのついたち)」という農業の休日の一つなのです。
この日は蟹、蛇、蚕といった生き物が脱皮をする日とされていて、人間も皮が剥け変わると考えられていました。この日に桑の木の下に行くと、自分の脱け殻が木に引っかかっているのが見えるといって、屋内に籠もって静かにしている日とされていたのです。
まるで「地蔵十王経」に出てくる、懸衣翁によって剥ぎ取られた生皮のようですね。
易や陰陽五行を民俗学に取り入れた学者・吉野裕子さんによると、「蛇 ─ 古代日本人における性 ─」の中で「蛇は性の象徴である」として、古代日本人はこれを直視して思考の根底においていることから、「永生をはかるため、本来人間にはない脱皮を呪術として人為的に行った」「年中行事の中に脱皮を擬(もど)くものが数多く織込まれているのはそのため」だと指摘しています。
そして、年中行事に見られる「ヌケガラ」のイメージは、呪術的な脱皮につけ加えた重要な要素だとしています。
永生(えいせい)とは、長命や長寿といった長生きすることを意味しますが、仏語では「ようしょう」と読んで、仏の悟りの境地に達した涅槃や永遠に滅しないことを意味します。
「私が好きなものは〝不変〟。完璧な状態で永遠に変わらないこと」と言っていた無惨のセリフに重なります。(12巻 第98話)
こうしてみると、貴船神社の創建伝説に沿って立志編のイメージがあるのと同じように、「逆髪」につながる境界の神のイメージも、「鬼滅の刃」に盛り込まれた謎解きの手掛かりになっていそうです。